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東日本大地震


今日は、この話題以外は書けないですよね。


金曜日、自分の身の安全が担保でき、帰宅してからは、
今日の朝までニュースに釘付けでした。
もう、言葉にできないというか、ならないというか、
涙なくしては見れない状況でした。


お亡くなりになった方にはお悔やみ申上げます。
そして、ひとりでも多くの方が救命されることを祈ります。


以下は僕の個人的な話です。ビジネス上の話ではありませんので、
その点を期待されている方は読み飛ばしてください。


僕の母親は、今は池袋に住んでいますが、
もともとは宮城県石巻市雄勝町の出身で、今でも
母さんの実家はそこにあります。
母さんは5人兄弟ですが、福島県会津若松に住んでいる
妹と母さんしか、今はおりません。
三女の母さんが76歳ですので、当然のごとくみな病気などで
すでに亡くなっています。


だいかわりはしているものの、母さんにとっての姪・甥、
僕にとってのいとこ5人は、雄勝町にふたり、
石巻の中心地にひとり、女川町にひとり、
仙台市にひとりいます。
残念ながら、その5人の誰とも、連絡がとれていません。
母さんと叔母さん(かあさんの妹)と僕とで連絡を
とっているのですが。


仙台市のいとこも河口の堤防のそばに住んでいるので、
安全とは言えないでしょう。心配です。
石巻の中心地に住んでいるいとこの家の位置を知っていますが、
ニュースで見る限り、流されています。その前に避難していることを
祈るばかりです。
どうでもいい話ですが、このいとこは、母さんの姉さんの子どもで
僕の2歳上、外見は僕と瓜二つなんです。


雄勝町は、明治の三陸地震でほぼ壊滅した町です。
津波が町の32メートルの高さまで来たそうです。
そんな状況の町で、伝わっていることがあります。
僕も母さんから伝え聞いています。


その地震のときに、町の半分が津波に飲まれ、
町の半分の人が亡くなったそうです。
だから、雄勝の人は地震が起こると、なにをおいても、
山を全力でかけ登っていくと。
壊滅していることはニュースなどでは間違いないようなので、
あとは、その言い伝えを実践して、ひとりでも多く
助かったことを願うばかりです。


でも、この関係で母さんと話をしていて、
いやなことを思いだしました。
子どもながらに強く印象に残っているんです。
だってその海で、子どものころ、夏休み期間
泳ぎを覚え、あわびやうにをたくさん採っていたので。
それは、
「結局、明治の三陸地震のとき、雄勝町で亡くなった人の
 半分は、結局、遺体がでてこなかったのよ。
 海の底に泥と瓦礫とともに、今も沈んでいるはずよ。
 その人たちがこの町を海から守ってくれているんだよ」
この言葉です。
石巻市、女川町、南三陸町などで不明になっている方が、
山の中に避難していて、ひょっこり出てきて、
この事実が覆ることを祈るばかりです。


復興しよう、東北。
母さんを見ていてわかるけど、
あなたたちの底力は私もわかっているつもりです。
そして、頑張ろう日本!
自分が支援できることはできるだけするつもりです。
ボランティアの受け付け開始したら、すぐに
今回の被災地のどこかにいくつもりです。