ブログトップ

<   2011年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

インプット減少⇒自粛解除



昨日のカズのゴール、感極まりました。
テレビ中継で見て泣き、ニュースを見て泣き、
youtubeを見て泣き・・・でした。
前回の日経のコラムが思いのほか良かったので(失礼)
ちょっと期待していたのですが、さすが、ですね。
元祖、持っている男ですよ。
日本代表に対するゴールで、こんなうれしいゴールは
後にも先にもこれだけじゃないですかね。


さて、もうひとつ個人的な話です。
母方のいとこ5人(=5家族)ですが、
そのうち4家族とは連絡がとれました。
まだ、1家族とは、今日時点でも連絡がとれていません。
連絡がとれた4人のうち、3人の家は流されました。
母親の実家もそこに含まれており、かなり落胆しておりました。
ただ、母親の血縁が全滅してしまうことだけは避けられたので
それで良しとしないと。
4月には、福島の叔母のところと石巻の避難所に行きます。
復興の邪魔にならないように行きます。


今日のネタはインプット減少と自粛解除です。
このブログでも書いていますが、次の3つのインプットを
個人的な目標にしてきています。
●人と会って食事しながら刺激などをもらうインプット
   毎月8名×12ヶ月=96回
●本を読むこと
   毎月8冊×12ヶ月=96冊
●主に有料セミナーに出席して知識をインプット
   年間50回(月間4回くらい)


1月・2月はいつもどおりに消化してきたのですが、
震災の起こった今月(3月)は、このような実績です。
●人と会って・・・  2回(2回とも震災前)
●セミナーに出席 0回
 (4つ参加申込していたのですがすべて中止)
●本を読むこと 8冊

予定はいつもどおりに入れていたのですが、すべて
中止・延期になってしまいました。
あの11日も夜の予定が入っていたのですが・・。


これでは復興支援にならないので、
今週金曜からは4月ということもあり、来週からは自粛を解除します。
当方の仕事はマーケティングサポート。ようは、サービスを
利用してもらったり、モノを購入してもらったりすることを
サポートしているわけです。ですので、今までも得た分は
すべて消費に回してきました。それがクライアントさんの利益になり、
自分にも跳ね返ってくると信じて・・(貯蓄がない言い訳ですが)
これを普段どおり、継続しますよ。
飲み会にも積極参加しますので、お声がけください。


もちろん今まで以上に働きます。
震災で大きな打撃を受けた3県の名目GDPは4%だそうです。
(報道でご存知のとおり、重要な部品工場なども多数あり、
 その数字以上の影響があるとは思います。
 ちなみに、阪神大震災時の兵庫県が
 ちょうど4%くらいだったそうです)


なので、最低の最低でも昨年度の4%以上は
働いて稼がないといけません。
これにプラスして復興費用もかかります。
ですので、個々人が20%増しくらいで
働かないといけない計算になるかと。
今年は働く年と決めました。
まずは、身近にいる肉親の立ち直りを
金銭面なども含めできるだけ支援しつつ、
公的な寄付も並行します。
[PR]

東日本大地震


今日は、この話題以外は書けないですよね。


金曜日、自分の身の安全が担保でき、帰宅してからは、
今日の朝までニュースに釘付けでした。
もう、言葉にできないというか、ならないというか、
涙なくしては見れない状況でした。


お亡くなりになった方にはお悔やみ申上げます。
そして、ひとりでも多くの方が救命されることを祈ります。


以下は僕の個人的な話です。ビジネス上の話ではありませんので、
その点を期待されている方は読み飛ばしてください。


僕の母親は、今は池袋に住んでいますが、
もともとは宮城県石巻市雄勝町の出身で、今でも
母さんの実家はそこにあります。
母さんは5人兄弟ですが、福島県会津若松に住んでいる
妹と母さんしか、今はおりません。
三女の母さんが76歳ですので、当然のごとくみな病気などで
すでに亡くなっています。


だいかわりはしているものの、母さんにとっての姪・甥、
僕にとってのいとこ5人は、雄勝町にふたり、
石巻の中心地にひとり、女川町にひとり、
仙台市にひとりいます。
残念ながら、その5人の誰とも、連絡がとれていません。
母さんと叔母さん(かあさんの妹)と僕とで連絡を
とっているのですが。


仙台市のいとこも河口の堤防のそばに住んでいるので、
安全とは言えないでしょう。心配です。
石巻の中心地に住んでいるいとこの家の位置を知っていますが、
ニュースで見る限り、流されています。その前に避難していることを
祈るばかりです。
どうでもいい話ですが、このいとこは、母さんの姉さんの子どもで
僕の2歳上、外見は僕と瓜二つなんです。


雄勝町は、明治の三陸地震でほぼ壊滅した町です。
津波が町の32メートルの高さまで来たそうです。
そんな状況の町で、伝わっていることがあります。
僕も母さんから伝え聞いています。


その地震のときに、町の半分が津波に飲まれ、
町の半分の人が亡くなったそうです。
だから、雄勝の人は地震が起こると、なにをおいても、
山を全力でかけ登っていくと。
壊滅していることはニュースなどでは間違いないようなので、
あとは、その言い伝えを実践して、ひとりでも多く
助かったことを願うばかりです。


でも、この関係で母さんと話をしていて、
いやなことを思いだしました。
子どもながらに強く印象に残っているんです。
だってその海で、子どものころ、夏休み期間
泳ぎを覚え、あわびやうにをたくさん採っていたので。
それは、
「結局、明治の三陸地震のとき、雄勝町で亡くなった人の
 半分は、結局、遺体がでてこなかったのよ。
 海の底に泥と瓦礫とともに、今も沈んでいるはずよ。
 その人たちがこの町を海から守ってくれているんだよ」
この言葉です。
石巻市、女川町、南三陸町などで不明になっている方が、
山の中に避難していて、ひょっこり出てきて、
この事実が覆ることを祈るばかりです。


復興しよう、東北。
母さんを見ていてわかるけど、
あなたたちの底力は私もわかっているつもりです。
そして、頑張ろう日本!
自分が支援できることはできるだけするつもりです。
ボランティアの受け付け開始したら、すぐに
今回の被災地のどこかにいくつもりです。
[PR]

日本能率協会 マーケティング総合大会


長友の得点もよかったのですが、それよりも
名古屋の永井のスピードには、本当に驚きました。
正直、なんで注目されるのか、アジアカップを見ただけでは
よくわからなかったのですが、なじみの選手たち(横浜Mの中澤や
栗原)との比較で、そのすごさが良くわかりました。
楽しみですね。でも来年には海外だろうなあ。



さて、いつものセミナー報告です。
今回は日本能率協会のマーケティング総合大会。
ひさしぶりに参加してきました。
参加したのは、ネスレさんのVOC事例と
日産自動車さんのソーシャルメディア対応事例でした。
リテンションマーケティング関連の情報収集の一環です。
さすが、ちょっと高額な有料セミナーでしたので、
結果数字やノウハウが公開されていました。
さすがに資料は配布されませんでしたが、
当日の会場ではパワポにはっきりと映し出されていました。


以下、気がついたことをあげておきます。
<ネスレ>
●元々、VOCセンターのことはある程度知っておりました。
 事例としてあまりにも有名なので。
●その前提で、今回はじめて知ったことを書きます。
 ただ、この場限りにしてくださいとの情報については、
 それは記載しておりません。
●2年前にコンタクトセンター自体を神戸本社に移転。
●同時に、自社でグルインできる部屋などの体制を用意。
 グルイン参加許諾者が6千名以上。
 みなさん関西のうるさいおばちゃん。
 商品セグメントごとに区分けされている。
 これで得られる気づきも多いとのコト。
●ただ、正式なリサーチは、リサーチ会社さんに
 依頼しているそうです(当たり前ですが)
●昨年度VOCポータルをかなりの費用をかけて開発。
 最初は投資に失敗したかなと思うくらい活用できていなかったが、
 昨年後半から投資のもとはとれた感じになってきているそう。
●「県人こみゅ」というコミュニティサイトが別途あるが、
 ここでのデータもそのVOCポータルに取り込み済み。
 VOCセンターに入電された声はどうしてもネガティブが多いが、
 このサイトでは、普通の意見がとれるので、重宝している。

⇒このサイトの声の収集方法に「ソーシャルCRM」にひとつの
 ヒントがあると思いました。  



<日産自動車>
●こちらは、PR寄りの話でした。
 登壇された方もグローバルPR部署経験が長い方でした。
●東京モーターショーやジュークの発表、電気自動車リーフの
 一連のPR方法など、事例や結果数字が豊富でした。
●ただ、僕の業務とは直接関係ないので、ここに記載することも
 あまりないです。
●興味があったのはこの発言。
 今年から、マーケティング本部とPR本部が統合され、
 マーケティング本部長が全部を見ることになったそうです。
 これを置き換えると、戦略PR会社のブルーカレントが
 電通サトナオラボや電通コミュニケーションデザインセンターに
 吸収された感じですかね。
 日産さんのようなグローバルな会社はいち早く、
 今の時勢にあわせて対応したんでしょうね。
[PR]

当社7周年です。

期末進行などで、バタバタしております。
先週末も土日とも出勤でした・・・。



先週の水曜日、2月23日、当社は7周年を迎えることができました。
会社員生活16年間を送り、この会社を起業したことを
昨日のように思い出します。
7年という中途半端な年なので、特に感慨深いものはないですが、
この時期を迎えると、なんとも言えない感情になります。


と言っても、起業したときは、消去法で決めた結論だったんですよ。
事業会社で自分がやることがなくなって、次のキャリアを築こうと
思ったときに、日本企業に戻るのか、外資企業で同じ思いをするのか、
どちらも帯に短したすきに・・・・、だったんですね。
そんなときに、以前からの知り合いに、個別に手伝ってほしいという声が
たまたま3名からかかり、起業という選択肢もあるのではと・・。
今考えても熟考はしてないです、正直なところ。
半分以上、勢いです。
ただ、日本企業の会社員時代に、出世の先というか、
レールがすべてみえたあの閉塞感を味わっているので、
反対に、今後どうなるのかがわからない状況の方が
自分としては好きですね。まあ、こんな感覚でないと
極小企業で明るく働こうという気持ちはおきないでしょうね。


ここまでを振り返ってみると、稼がせてもらったことよりも、
「不義理にしてはいけない方々」が約100名できたことが
なによりも財産になっています。
関係のみなさまには本当に感謝しております。
今後もみなさまを少しでもサポートできるように精進しますので、
引き続きよろしくお願いします。
[PR]

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧