ブログトップ

幸乃巣閉店 


長文失礼します。
いつもありがとうございます。
今回は個人的な話です。
仕事の話を期待されている方は飛ばしてください。


7月25日、自分にとって、とても印象に残る出来事があった。
その出来事とは、渋谷宮益坂の幸乃巣というバーの
閉店パーティに行ってきたことだ。
閉店・・・、正確に言えば、店は存続するが、名物ママである
有村さんが7月末で引退するので、それをねぎらおうというもの。


パーティに行ってきたというのも正確ではない。
自分は4名いる主催者のひとりであり、その中では
一番年下なので、いわゆるパシリだったからだ。
現在、比較的時間に自由がきくポジションにいるので、
そのパーティの準備をするために、17時過ぎから、
バタバタと働いていた。その日を迎えるまで、
数回、夜に出向いたりもし、下準備もしていた。


さて、まずは、このバーについて説明しておかないと
話が始まらないので。
渋谷宮益坂、渋谷郵便局の近くにひっそりとある。
お店自体は37年前に開店。ママの有村さんは
28年前より働いている。
スナックというより、ショットバーみたいな感じかな。
今はあまりこういうタイプの店がないので
種別分けが難しい。


次に、このバーと自分とのかかわりだ。
自分が社会人を始めた・最初に就職した会社の
となりにこのバーがあり、一部の社員の
溜まり場になっていて、その方々に
連れて行かれたのがはじまり。
自分は平成元年入社なので、もう20年前のこと。


本当にこのバーで多くのことを教わった。
仕事よりもこのバーで教わったことの方が
多いのではないかとも思うくらいである。
同時に、ちょっと嫌なことも味わった。
まあ、酒を強要されて具合が悪くなったとか、
入社後2年間で数百万円借金が増えたこととか、
(そんなに高いお店ではないのですが、
 数千円の積み重ねだったり、タクシーで
 帰ってたりしたので。)
今思えば、その効果を考えれば、たいしたことではない。
でも、当時は、われわれに続く後輩を
無理矢理この道に引っ張るのはかわいそうと
強制しなかった。そうしなかったことは
今はかなり後悔している。(詳細は後述)


ここで経験したことを思い出しながら
つらつらと書いてみよう。
 ●1ヶ月のカードの利用金額がはじめて
   100万円を超えたこと。
   ⇒ 最初の就職先がカード会社だったので、
     一番下っ端がその場でカードをきって、
     あとで先輩たちからまとめて回収するという
     システムになっていた。それがたまりにたまり
     請求書をもらったときには正直驚いた。
     (ちなみに初任給が20万円のころである。もちろん
      全員が金払いが良いというわけではなく、
      回収には苦労がつきもの。)
 ●ラブホに男同士で泊まったこと
   ⇒ 宮益坂の裏にウォンズインというラブホがあり、
      タクシーがなかなかつかまらず(当時はバブル真っ最中)
      仕方なくとまったことがある。そういう趣味はないので
      誤解のないように(あるわけないか) 
 ●空いている杯がないか、ラベルは上など
   ホステス業務の基本を教わる
   ⇒ 別に勤めていたわけではないです。
     この店では、基本的に洋酒のボトルキープなので
     下っ端が杯をせっせと作り、先輩たちに
     サーブしなければならないことになっている。
     ラベルが上とはもちろん、ビールを注ぐときに
     そのラベルを見せ=銘柄を見せ、確認してもらうと
     いうこと。(当時は企業グループで飲むビールが
     決まっていた。三菱関係はキリン、芙蓉グループはサッポロなど)
     これらの基本はあとあといろんな場面で役に立った。
     ただ、このクセは今でも抜けず、みんなで飲みに行くと、
     誰かの杯が空いてるのが気になったり、氷がコップの
     下までついてないと嫌な気分になったり(なるな)


この店に通ってよかったことは、
良い先輩たちに出会えたこと。これに尽きる。
そのサラリーマン時代、その店をひいきにしている
数ある先輩の中で自分が印象に残っている3名のことを書きたい。


まずは、名物社員でもあったMさん。
自分より8つ上であるので、もう今年50歳になる。
自分が入社したときは30歳そこそこで、
飲む量のすごさや全身からあふれ出すパワーは
今でも強烈に覚えている。
(自分の30歳のときはここまで元気ではなかった気がする)
実は、この人が最も出世すると思っていた。だからといって
営業成績が良いとか、大きなプロジェクトをこなしてきたとか、
企画に優れているとか、いわゆる昔流に言うと、
仕事ができるわけではなかった。
やんちゃであったので上司からはかわいがられ、
部下への統制力も強く、終身雇用時代のヒーローだったと思う。
めちゃくちゃ仕事をして、めちゃくちゃ遊んで・・・
昭和の一体感を最も味あわせてくれた人。
このときが彼の全盛期だったと思う。失礼ながら
当日、本人にもそんな話をした。会うのはしばらくぶりではないが、
病気のこともあるのか、少し小さくなったような気がした。


次にKさん。
Mさんと同期であるので彼も今年50歳になる。
今でもその事業会社におり、代表権を持つまで出世した。
(って誰かわかっちゃうよね)
当時は、狂犬とか尖ったナイフとか言われていた。
先輩後輩に関係なく、Kさんに論戦を挑んだ者は
ことごとく、泣くまでやられていた。
自分が入社したとき、当時30歳。
自分が30歳のとき、そこまで議論ができただろうか。
この人の最大の特徴は、リーダーとしての力量だ。
関係ある人々を巻き込み、モチベーションをあげ
そのプロジェクトを成功に導いてしまう。
なぜか、Kさんのためなら・・・となる雰囲気がある。
多分、本人は意識してやっていないと思う。生まれながらに
持っている特性だと思う。自分も今まで、この人を超える人には
会っていない。
特筆すべきはこれだけではない。
企画力・文章力が、これまたすごい。
まだPCなどがなかった時代、この人が書いた
手書きの企画書を今でも大切に持っている。
一時期、バイブルみたいに参考にさせてもらった。
自分は、この会社にいた15年間で、この人の直属の
部下になったことが3回ある。ほんとうに自分は運が良い。


さて、3人目はただいま名古屋勤務のMさんでしょう。
自分よりも一回り上なので、今年54歳のはずだ。
娘さんのJちゃんは小学校のころから知っており、
20歳を過ぎたときにこのバーで飲んだときは
涙が出そうになった。親戚のおじさんの気分だった。
この人も酒のエピソードには事欠かない。
会社のシャッターによじ登って壊したとか、
重要なクライアントの社長のハゲ頭をペシペシ叩いたとか・・。
自分も飲んだあとの山手線の中、つり革で懸垂を
やらされたり、電車のあみ棚に登らされたりした。
ああ、懐かしい思い出。最近はこんなマンサラいないだろうな。
この人の営業力は粘り強い。手帳が真っ黒になるほど
いろんな情報をメモに取るなど、几帳面なところもある。
このバーで飲むのもあったが、この人とは新宿オフィス時代に
本当に良く飲みに行った。決まって、夜中の1時か2時くらい
から繰り出し、4時くらいまで飲み、帰宅してシャワーをあびて
また出社。よくこんなこと続けていたと書いていて思う。
あのころは週5回飲みにも行っていた。まあ、飲まないと
やってられないということなんだけど。
今は、名古屋勤務なので年1回くらいしか会えず残念。





さて、パーティ当日。
なにか出し物を用意したわけでもない。
いつもの、このバーにふさわしく、みんなで
しゃばりながら、ダラダラと飲んでいただけ。
それだけだけど、なぜか無性に楽しい。
19時過ぎくらいから人が集まりだし、
ある程度人数が集まったときに乾杯をした。
乾杯の音頭はこのバーにゆかりが強い人で、
結局、4回も乾杯した。


全部で60名くらい来た。席数が25席しかない
小さな店なので、空気が薄くなり、最後の方は
ライターがつかなくなっていた(やばかった)
参加者の最高齢は75歳。最も若くても33歳くらいだろうか。
もっと、このバーに縁が深い人もいたけど、
残念ながら連絡がつかない人もいた。


さっきも書いたが、このバーで飲むのは
洋酒がメインなんだけど、当日はビールや
焼酎をたらふく出した。
あと、ショットバーみたいなところなので
食べ物もピザくらいなんだけど、当日は
おいなりさんやから揚げなど、この店で
一度も食べたことないものもたくさん出した。


食べて飲んで、くだらない話をして、時間が過ぎていった。
終電近くになると、ポツポツと帰りはじめ、
終了したのは1時過ぎくらい。
そのあと、一部の人たちとカラオケに行った。
(一部の人たちは恒例のマージャン)
このバーのあとでカラオケに行くなんて初体験。
こんなところにも、時代が変わっていることを実感。


ここで、この幸乃巣文化を継がなかったことについて。
後輩たちには本当に申し訳ないと思う。
自分たち世代がうまく橋渡しになってあげればと後悔している。
うまく言えないので、さとなおさんの言葉を引用したい。
彼の大阪時代の先輩が引退されるときに書いたブログです。
========ここから引用============
キミたちは逆に「うざい」と思うかもしれないけど、
この色濃い文化はキミたちを責任持って一人前にし、
長い目で大きく育ててくれるシステムだった。
少々規格外の人間も温かく受け入れ、
多少の失敗で人間を決めつけず、何度も敗者復活を許し、
日本独特の大人の教室だった。
たかが知れてる仕事の経験を「キャリア」と呼ぶような厚かましさも、
実力もないのにキャンキャン自分の待遇を主張する含羞のなさも、
自分の利益不利益を嗅ぎ分けて会社を移っていくような不粋さも、
ちゃんと教え諭してくれる家族だったのだ。
========引用ここまで============


さて、最後に。
自分は、この閉店を体験することで、
ある時代が終わるのではないかと、
象徴的な区切りの出来事になるのではないかと思っていた。
昭和の時代や55年体制(ふるっ)や終身雇用時代とか。


ところが違っていた。
確かに象徴的な区切りではあった。
寂しくも感じた。泣きそうにもなった。
でも、それ以上に強く思ったことは、
自分の原点がここにあるんだなと、再認識できたこと。
事業会社はとうに辞めているが、
ここに参加した人たちとのつながりは
消えていない、なくなってはいない、今後、
何年たっても、死ぬまでなくならないんだなと。


それともうひとつ。
自分の原点である、この宮益坂周辺にいつか帰って来たいと
強く思ったこと。つまり、自分のオフィスをこのあたりに
構えるってこと。
起業後、この千駄ヶ谷でオフィスは4箇所目。
ここに決めるときも実は、宮益坂あたりも調べたんだよね。
本当になにとなく。
サラリーマンのみんなはオフィスの場所、
恐らく選択権はないと思うが、自分は自由に
決められるので。
そして、オフィスの中にバースペースを作り、
みなさんが寄れるようにしようかと。
いつになるかわからないけど、関係者の方、
期待しててください。幸乃巣はなくなるけど、
その代わりは作っておきますよ。


幸乃巣、ありがとう!
飲みに行った方々、ありがとうございます!
有村さん、お疲れ様でした。
[PR]

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧